山地 芽衣
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山地 芽衣

1989年浦和生まれ。東京家政大学児童教育学科を卒業後、さいたま市の公立小学校で3年間の教鞭をとる。2016年にオランダの教員養成学校に留学するも、1年後にオランダ語の力不足で悔しくも退学。その後、日系企業に勤務しながらオランダ語の習得に励み、2020年よりオランダの教員養成学校にて再挑戦。2年半を経て無事卒業し、現在は代行教員として現地の複数小学校の教壇に立つ。

  • 2023年7月27日
  • 2023年9月11日
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第6話 私のスーパー先生(山地芽衣)

実習クラスの先生の誕生日に、先生の大好きなサッカーで遊ぶ先生と子どもたち。  教員養成学校2年目の実習校も、ありがたいことにイエナプランスクールとなりました。隣の田舎町にある学校は、家から自転車で40分ほどのところ。低学年クラスが5つ、中高学年クラスが6つずつの合わせて17クラスという大きな学校で、各クラスが3学年で成り立っています。移民が少ない地域で、大半が白人の子どもたちの学校です。 ※低学年 […]

  • 2022年9月29日
  • 2022年10月6日
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第5話 前進するためのフィードバックで気づかされたこと(山地芽衣)

 いきなりですが、質問です。  上手くいかなかった授業をした後、その授業に対するフィードバックを同僚などからもらう場面で、言われそうなこととして想像するのはどんなことですか?(授業をしないお仕事であれば、ご自身の仕事の場で、何か実践が上手くいかなかった場合のことを想像してみてください)言われる直前の数秒間をどんな気持ちで過ごしますか?  ハラハラ、ヒヤヒヤ、ドキドキ、ワクワク… 今回は、私が再挑戦 […]

  • 2022年3月8日
  • 2022年9月26日
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第4話 手放すことの難しさ(山地芽衣)

渡蘭から4年、ようやく学びと暮らしの場が整う  2017年7月、渡蘭から1年が経とうとしている頃、私は在籍していたアッセンの教員養成学校を退学することにしていた。オランダ語がある程度できないことには、実習先で授業をすることも、教員養成学校の履修単位取得に必要なすべての試験に合格することも、ましてや、授業の説明や学生との議論を理解することすらできず、とにもかくにも進みようがないと痛感していたからだ。 […]

  • 2021年12月1日
  • 2022年11月22日
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第3話 チャイムのない教室で(山地芽衣)

 2016年の9月、渡蘭して間もなく始まった教員養成学校の小学校実習。私の実習クラスはとあるイエナプランスクールの高学年グループで、日本でいう小学校4〜6年生の26人の異学年学級だった。ここに週2日、実習生として通っていたのだが、ここで初日から私が個人的に取り組んでいたことがある。それは子どもたちや先生を観察することだ。 小学校とはいえ、ここはオランダ。日本の小学校とは異なる部分が数多くある。まず […]

  • 2021年6月8日
  • 2021年9月29日
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第2話 ちょっと教室の外に行ってもいいですか?(山地芽衣)

 私が入学した教員養成学校はオランダの北に位置する人口7万人弱のアッセンという小さな街にあった。この教員養成学校には、全日制の4年コースと定時制の2年コースがあった。前者の大半は、日本でいう高校を卒業して進学してくる学生が占める。一方で後者には、すでに何かしらの学位を取得していることが入学条件にあるゆえ、20代半ば〜50代という幅広い世代や経歴、背景をもった学生が集まることになる。私は日本の大学を […]

  • 2021年3月1日
  • 2021年8月23日
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第1話 3つの「ない」が私のスタート

 念願の渡蘭から4年。短い時間のようにも思えるが、あらゆる経験と目まぐるしい心の変化でつまった月日となった。当初は、先が想像しきれないからこそ、不安も抱きようがなかった。  日本の公立小学校の先生から、オランダの教員養成学校の学生へと立場を変えた私は、環境が変わることで、それまで見えていなかった自分ばかりが見えてくるということは、このときはまだ知る由もない。カルチャーショックどころか、自分ショック […]

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