第3話 チャイムのない教室で(山地芽衣)

 2016年の9月、渡蘭して間もなく始まった教員養成学校の小学校実習。私の実習クラスはとあるイエナプランスクールの高学年グループで、日本でいう小学校4〜6年生の26人の異学年学級だった。ここに週2日、実習生として通っていたのだが、ここで初日から私が個人的に取り組んでいたことがある。それは子どもたちや先生を観察することだ。
 小学校とはいえ、ここはオランダ。日本の小学校とは異なる部分が数多くある。まずは、このクラスの一日一日がどのように流れているのかを知りたいと思い、彼らの様子や行動、授業の内容や活動方法などを分刻みの時刻を添えてノートに書き留めていたのだ。

 実習が始まって一ヶ月がたったある日も、私はクラスの様子をせっせとノートに書き込んでいた。インストラクションを終えたグループリーダーは、ワークブックに取り組む子どもたちの間を行き来しながら、質問のある子どもたちを次々と助けていた。子どもたちも集中して取り組んでいる。秋の日差しが差し込む教室は静まり返っていていい雰囲気だった。
 曜日ごとにいつ何を学ぶかを示す週計画からすると、そろそろ次の授業に入る時間になった。けれど、そこへと切り替わっていく気配はない。私はなぜなんだろうかと思っていた。そのときふと、おかしなことに気がついた。この教室で私だけが、時計をやたらと頻繁に見ていたのだ。
 そもそも、記録にその都度時刻を書き入れる理由は特になく、記録するなら時刻も書いておくべきというぐらいの、考えのない慣れでやっていた。どうやら、私自身が日本でクラス担任をしていたときの感覚も影響しているようだった。
 当時は、常に時間に追われるように日々の授業をこなしていた。計画的な時間配分に沿って授業をすることが一番効率的で、教えなければならない内容を漏れなく取り上げられると考えていたのだ。その感覚が、この頃にもまだ身体中に染み付いていたようだ。
 一方で、授業時間を仕切る役割のあるグループリーダーはといえば、時計をさほど気にしていない。かといって、学校のチャイムに任せて授業を切り替えているわけでもない。なぜなら、日本の一般的な学校のように授業の始まりと終わりを知らせるチャイムはここにはないからだ。
 たしかなことは、一日の始まりから終わりまでチャイムが学校全体に鳴り響くことがない代わり、クラスごとにグループリーダーの合図や指示で授業や活動が展開されていくということだ。

 では一体、グループリーダーはチャイムのない教室で時計をそれほど気にすることなく、どのように一日を展開しているのだろうか?

 授業と授業の間の、グループリーダーの指示たるアクションに気をつけて観察してみることにした。すると、子どもたちの様子に合わせて授業を切り替えていることが見えてきたのだ。
 子どもたちが課題に没頭して取り組んでいるのか。集中力が途切れて上の空なのか。友だちとのお喋りに夢中になってしまっているのか。こういった子どもたちからの情報に目と耳を向けて、少し授業時間を延ばしたり、反対に早めに切り上げたり、この授業時間の振り返りをさせたり、一気に片付けるためにやる気を出させる声かけをしたりしていた。
 グループリーダーは、一日の流れを時計で刻みながら子どもたちを動かすのではなく、子どもたちにとって自然な流れを工夫してつくり出していたのだ。

 私がグループリーダー、子どもたち、さらに時計を同時に気にしていた間、グループリーダーは子どもたちに意識をたっぷりと注いでいた。もちろん、グループリーダーは登下校など学校全体の時間に関わる決まりごとは守っていたけれど、授業中に子どもたちよりも時間を気にすることなどしていなかったのだ。
 私はそのことに気づいてから、時間に対する用のない執着心を脱ぎ捨てようと、観察記録に時刻を書くことはやめにした。グループリーダーがするように、時間にではなく、子どもたちに合わせた学びの環境をつくれるようになりたいと思ったのだった。(続く)

実習のたびに書き留めていた観察記録ノート。

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