第5話 前進するためのフィードバックで気づかされたこと(山地芽衣)

2020年9月から半年実習をしたクラスの教室

 いきなりですが、質問です。

 上手くいかなかった授業をした後、その授業に対するフィードバックを同僚などからもらう場面で、言われそうなこととして想像するのはどんなことですか?(授業をしないお仕事であれば、ご自身の仕事の場で、何か実践が上手くいかなかった場合のことを想像してみてください)言われる直前の数秒間をどんな気持ちで過ごしますか?

 ハラハラ、ヒヤヒヤ、ドキドキ、ワクワク… 今回は、私が再挑戦する教員養成学校1年生の実習が始まった頃のお話です。

 2020年の秋から通っていた実習校は、近所にあるイエナプランスクール。全5クラスという小規模校で、グループ1・2、3・4、4・5、5・6、7・8という二学年制クラスが編成されていました。上半期の実習クラスはグループ5・6の、日本でいう小3・4のクラスでした。24人の元気で活発な子どもたちの多いクラスです。担任の先生は、担任を受けもって3年目の若手の女の先生。子どもたちの中でリーダーとしてきびきびと動きながら、子どもたちの目線に立って関わるのが上手な先生でした。

初めての手作り授業

 教員養成学校1年目に出される課題の1つに、ワールドオリエンテーションの領域毎に授業をするというものがあります。ここでのワールドオリエンテーションとは、イエナプラン教育の中でいう探求活動にあたるワールドオリエンテーションとは異なり、国語や算数などと並ぶ教科の1つです。領域は、地理・歴史・自然・技術の4つで構成されています。日本でいう理科・社会に近い教科です。全領域を網羅するように、最低でも4つの授業をする、という課題です。

 私は地理の授業として、日本の小学校と実習校の小学校を比較する授業を計画しました。正座でのお辞儀を見せることから授業を始め、日本のとある小学校の一日の動画を見せ、質問や問いを出し合い、日本の遊びをする、という流れ。動画や遊びを選ぶだけでなく、どこでどんな説明や声かけが必要か、授業案という名のシナリオを念入りに作ったのでした。

 何度も読んで練習したシナリオを片手に、いざ授業。ただ、具体的なメソッドの教材やワークブックを使用する国語や算数と異なり、ゼロから自分で授業を組み立てて実践するのはこれが初めて。自ずと、この授業でやりたいことは私しか分からない、という状況に。さらに、オランダ語で授業をすることにも慣れていなかったので、話すべきことをすべて話さねば! と、自ら背負うプレッシャーもあり…。授業中は自分のことで頭がいっぱいだったのです。

落ち着きのない雰囲気に…

 子どもたちはというと、初めのお辞儀で大興奮! 見よう見まねでやってみる子どもが続出。悪ふざけまでエスカレートしてしまう子どもも出てきて、予想外の展開に。

 私はあたふたしながら、困り顔で「しーっ!」と静かにさせようとするけれど、効果はほぼ無し。実習クラスの先生のストップが入ることで、やっと、場は完全に落ち着いたものの、授業はまだ始まったばかり。動画を見ている間も、聞き慣れない日本語や見慣れない光景に、その都度期待以上の反応を見せてくれ、それゆえ、授業としては落ち着いて参加できる雰囲気とはならなくなってしまったのです。結局、授業の中でやりたかったことの半分ぐらいしかできないまま、授業終了の時間になってしまったのでした。

言われるだろうと想像したフィードバック

 その日の放課後、実習クラスの先生が私の授業についてフィードバックする時間をつくってくれました。授業後、「失敗した、まったく上手くいかなかった」と落ち込んでいた私は、「どんなフィードバックを聞かされるのだろう。怖くていやだなあ…。」と、内心思っていました。

「芽衣が子どもたちを上手に静かにさせなかったから」

「芽衣が授業に参加するための約束事を子どもたちと決めなかったから」

「芽衣が子どもたちへの期待を伝えていなかったから」

私が何かをしなかったから授業が上手くいかなったんだ、という、私に対する指摘が聞かされると想像していたのでした。そうすることで、予防線を張っていたのでしょう。実習クラスの先生の第一声までヒヤヒヤとハラハラが止まりません。心拍数も上がります。

実際のフィードバック

「授業形態かな」これが、彼女の第一声でした。それを聞いた瞬間、緊張の糸がプツンと切れました。「あれ? え? そう来る?」と思いながら、彼女のフィードバックの続きを聞きます。

「子どもたちは座り続けてたから、集中力が切れてたね。座って見聞きする以外の活動もあったら、違う授業になってたと思うよ。そうだ、次回の授業はサーキットっていう授業形態でやってみたらどう? サーキットっていうのはね、 …」

 私がもらったフィードバックは、私への指摘などではなく、どうしたら授業がよりよくなるか、教授方法についての客観的なアドバイスだったのです。私の想像は単なる妄想に過ぎず、私の授業ではどんなことがまだできそうか、可能性についての前向きな話し合いでした。

先走る「私が悪いんだ」という思考

 私自身、落ち込むほどの指摘をされるフィードバックはもらったことがないのですが、「ネガティブなことを言われるのではないか」という恐怖に苛まれていたことに気づきました。「よい評価を周囲からもらえなければ私はだめなんだ」という意識が、これまでの暮らしの中で植え付けられていたのです。

 低い評価をもらうことへの不安が一体どうやって植え付けられて来たのかは、はっきりとは分かりません。ただ、彼女のフィードバックで、「失敗の原因をすぐに自分自身に向ける必要はない」と、はっとしたのです。上手くいかなかったことの矛先を安易に自分に向けることが、本当の解決や改善にはならない。
 自分をただ犠牲にすることが手っ取り早い解決法だという思考は、よりよい授業をしたいという教師としての成長には、さっぱり役に立たないと気づいたのでした。それどころか、教師としての自信を自ら損ねる思考だったのです。

ハラハラからワクワクへ

 授業をしていて「しくじった!」と思ったときには、何をどのようにすることができたか、実習クラスの先生のアドバイスを自ら聞こうと心がけるようになりました。すると、フィードバックの第一声までは、ハラハラよりもワクワクが増していきます。
 自分ができていないことではなく、これからできるようになることへ目を向けることが、教師としての自己成長のプロセスをもっと豊かにしてくれるのだと学んだのです。(続く)

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