3つの「ない」が私のスタート

 念願の渡蘭から4年。短い時間のようにも思えるが、あらゆる経験と目まぐるしい心の変化でつまった月日となった。当初は、先が想像しきれないからこそ、不安も抱きようがなかった。

 日本の公立小学校の先生から、オランダの教員養成学校の学生へと立場を変えた私は、環境が変わることで、それまで見えていなかった自分ばかりが見えてくるということは、このときはまだ知る由もない。カルチャーショックどころか、自分ショックから抜け出せない時間を経験することになるとは…。

 過ぎ去った4年の中でも、まずはイタかったことをぜひ共有させてもらいたい。これが紛れもない、私のオランダ生活でのスタートラインとなったからだ。

 最初の1ヶ月は、教員養成学校の主催するオランダ語特訓講習を受講。この間、アメリカ、ドイツから来た学生2人とルームシェアをした。共同生活では英語を使うわけだが、出会った初日から不安が湧いてくる。彼らの英語が理解できないのだ。

 自分の英語力は日常会話なら支障のないレベルだと思っていたが、その認識は即変更せざるを得なかった。互いに知り合いたくて質問をするも、理解できずに会話のキャッチボールは続かない。

 そんな中始まったオランダ語の特訓講習。私のオランダ語力は初心者レベル。受講する学生の大半はドイツの学生たちだ。オランダ語もドイツ語も同じゲルマン系ゆえに、似ている部分がたくさんあって、彼らのオランダ語はこの1ヶ月でみるみる上達していく。

 その傍ら私は、授業のレベルがぐっと上がるにつれ、わからないことが増える一方だった。授業中の指示も学生の話すことも理解不能の連続。毎日出される宿題もその日のうちに調べきれず、消化できない「わからない」が積もりに積もっていった。

 授業以外の時間はもっぱらオランダ語の勉強に勤しんでいた。食事の間も耳をオランダ語に慣れさせようとニュースを見るも、どうにも身が入らない。赤い服を着たお姉さんが天気予報を伝えているが、私にはただの雑音にしか聞こえない。

 一体、このオランダ語が意味を持った言葉として聞こえる日が本当に来るのだろうかと、その先を思って呆然とし、自分の選んだ道に一瞬ゾッとした。

 「よし、今わからないならしょうがない。ならば、なにをどうしていきたい?」今の私だったらそう自分に問いかけるだろう。でもその頃の私は、冷静を装いつつも、わからないことばかりの「できない自分」に自信を失いかけて意気消沈。今まで、勉学において「私はできない」と思ったことはあまりなかった分、この事実を受け入れることが苦であったのだ。

 もやもやとしているうちに、日本にいた頃の自分を思い出し、「もしかしたら、そもそもわかったつもり、できているつもりでいたのかもしれない。」とふと思った。物分かりよく、器用にこなす自分でいたい、そんな自分を周りの人に見てもらいたかったのだろうと、薄々気づき始めていたのだ。

 ただ、そこに正面から向き合うことはせず、オランダ語の勉強に一人没頭していた。友達に誘われれば遊びに出かけはしたものの、その度、わからないことや自分のできなさに向き合わざるを得なかった。だからあの頃は、一人で黙々と机に向かっている方がよっぽど楽だった。

 特訓講習が終わり、教員養成コースのある別の街へ引っ越した。ここではオランダ内外の人たち4人と共同生活を送った。全員がオランダ語を話す、待ちに待った環境となった。お茶に出かけたり、みんなでご飯をわいわいと食べたりすることもあったが、私は未だわからない、できないという事実とうまく付き合えず、内にこもったまま。学校の授業や実習以外の時間を、依然、部屋にこもって語学勉強に費やしていた。

 ある日、オランダの友達が遊びに来ているときに、がんの治療のための募金活動で青年が訪ねてきた。私は勉強中のオランダ語を実践するいい機会だと意気込み、一人での対応を試みた。

 青年が熱心に活動のことを説明してくれたが、私はがん治療のためであることすら理解せず、「どうせ何かの勧誘だろうから、さっさと帰ってもらおう」なんて思い込んでいた。笑顔で私は関心がないのでと伝え、青年は帰って行った。

 部屋に戻ると、青年との会話を耳にしていた友達が眉間に皺を寄せて、「何のことだかわかったの?」と聞いてきた。私が理解したと思い込んでいたことを伝えると、そうではないよと、誤解していたことがわかった。「わからないならわからないと言いなよ。わからないまま話を進めるのは相手にとって失礼だよ。」

 グサッと突き刺さるこの言葉の意味。私は、日本での経験から勧誘行為にいい印象を持っていなかった。その印象メガネをかけたまま、目の前の青年を見ていたのだ。耳を傾けているフリだけをしていた。

 その自分のしたことに気づき、それが今の自分だと知ったとき、ショックのあまりたちまち号泣した。相手だけでなく自分にも誠実でなかった。できないことやわからないことを表明しないことの無責任さを痛感したときだった。

 今でも、この「フリ」に無意識に走ろうとする自分が潜んでいる。そんな自分が出てこないように、一旦立ち止まり、望む行き先に立ち返り、伝えることを選び、行動に移す。何とも小さな日々の作業だけど、こうして初めて、なりたい自分を築き直していける。だから今日も、このスタートに立っているのだ。

続く

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フレーク・フェルトハウズ、 ヒュバート・ウィンタース 著 リヒテルズ 直子 訳

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