第4話 手放すことの難しさ(山地芽衣)

渡蘭から4年、ようやく学びと暮らしの場が整う

 2017年7月、渡蘭から1年が経とうとしている頃、私は在籍していたアッセンの教員養成学校を退学することにしていた。オランダ語がある程度できないことには、実習先で授業をすることも、教員養成学校の履修単位取得に必要なすべての試験に合格することも、ましてや、授業の説明や学生との議論を理解することすらできず、とにもかくにも進みようがないと痛感していたからだ。
 言葉がわからないなりにも、その場にいることで見聞きして発見したりショックを受けたり、濃厚な1年目にはなった。いつも私を温かく受け入れてくれた教員養成学校のクラスメート、先生たち、そして、1年間実習をさせてくれた小学校の先生や子どもたち。彼らがいるアッセンを離れ、私は新たな暮らしを始めることにしたのだった。
 パートナーとの出会いがきっかけで、次なる舞台はオランダ南部にあるティルブルフという街となった。人口20万人程の国内でも大きい方の都市で、それまで暮らしていたアッセンに比べ、人もモノも都会らしい賑わいのある街だ。
 移り住んでからは、まず生活の基盤を整えようと日系企業に就職し、仕事以外の時間はオランダ語の勉強に勤しんだ。渡蘭から4年がかかったが、2020年夏に、教員養成学校に入学するための語学力の条件をついにクリア。同年9月に教員養成学校に入学することができたのだ。
 教員養成学校はドルドレヒトという、ティルブルフから電車で30分程の街にある。私が入学したコースは、アッセンで在籍していた教員養成学校と同じように、卒業まで最短2年の、学位取得をした社会人向け定時制コースだ。ここでも20〜40代の幅広い年代の学生たちが集まっていた。何かしらの学位を取得したばかりの人もいれば、教育とはまったく異なる業界で働きながら履修する人もいた。合わせて25人の2クラスの構成だ。
 アッセンでの教員養成コースとの違いを強いて挙げるとすれば、授業日が年間9日のみということ。各四半期の始まりと中間あたりに校舎に通って授業を受ける。そこでは、それぞれの期間に課せられている課題について説明を受けたり、課題に取り組む中での質問やフィードバックをし合ったりする。授業日以外は、学生が各々のペースで課題に取り組めるよう、必要な情報や教材はオンラインで入手できる学習環境が整えられている。私はまだ同じ日系企業で週3日勤務をしていたため、自分のペースで学べる点が自分に合っていると思い、この学校のコースを選んだのだ。
 もちろんこの教員養成学校でも、入学とほぼ同時に小学校での実習が始まる。私のコースでは実習は週に1日。この教員養成学校も学生の実習先をアレンジしているが、私はその管轄外の街に住んでいるため、自分で実習先を見つける必要があった。幸運にも、家から自転車で15分程の近所にイエナプランスクールがあったので、迷わずその学校に連絡。実習の受け入れを即座に快諾してもらえた。ということで、語学・暮らし・学ぶ場が整い、オランダ教員養成奮闘記の第二章の幕開けとなった。

いよいよオランダの学校での実習がスタート!

 実習先の学校には、120人弱の子どもたちが在籍していて、グループ1・2、3・4、4・5、5・6、7・8と2学年制の5クラスが構成されていた。この地域には多くの移民の人たちが住んでいて、家庭ではオランダ語以外の言語を主として使う子どもたちが3分の1近くを占めていた。彼らにとってオランダ語は第二言語、といったインターナショナルな環境の小学校だった。私はこの学校で1年間、その内、初めの半年はグループ5・6のクラス、後半の半年はグループ1・2のクラスで実習をさせてもらった。コロナの流行でイレギュラーなことが続いたが、それでも多くのことを経験し、学ばせてもらうことができた。
 この実習先での初めのエピソードとして、まず、後半の半年に起きたとある出来事をぜひ共有させてもらいたい。というのも、教員養成学校の再挑戦が始まり、コロナの状況がつかめ、ある程度地に足ついた状態で実習をすることができたからだ。その時の自分が立っている場所をはっきりと実感させられる経験となったのだ。
 グループ1・2の低学年クラスには、4〜6歳の子どもたちがいる。オランダでは、4歳の誕生日を迎えると小学校に通い始める。それゆえ、夏休み明けの年度当初から時が経つほど、4歳児の数が増えていく。この低学年クラスでの実習を始めた頃には27人の子どもたちがいたが、その後、34人へと大幅に増えていた。クラスの構成が変化していくというのは、私にとってはまったくの新しい経験だった。
 グループ3に上がるまでの2年程は、遊びを中心とした学習をする。小学校だから4〜6歳の子どもたちも読み書きを学ぶ、というわけではないのだ。グループ2になると、グループ3に上がってから困らないよう、文字の読み聞きの練習をすることはあったが、子どもたちは基本的に室内や屋外での遊びの中で学んでいた。
 この実習クラスのグループリーダーは、この学齢期の子どもたちを30年以上みてきた大ベテランの女性の人だ。子どもはたくさんのことができるということをよく知っていて、子どもたちを子ども扱いせず、一人の人として対等に向き合い、励ましたり促したりするグループリーダーだった。いつも明るく前向きで、キャハーっと甲高く笑う彼女の声が、私は個人的には大好きだった。

全力で実習に取り組む、でも不安が…

 2021年2月、この低学年クラスでの実習開始と同時に、私は国語(オランダ語)や運動教育の授業課題に取り組んだ。この課題は教員養成学校から課されているもので、大まかにいえば、指導方法に関する文献を読み込み、それを用いた授業をつくり、実習先で実践し、評価・振り返りをするといった内容だ。
 国語は、語彙増強の指導方法を使うことが決められていて、私は野菜や果物の名前を歌や実物を使って学ぶ(最終的には食べる)内容にした。運動教育は、低学年向けの小さな運動室で、3つの活動を小グループごとにローテーションさせる、あるいは、クラス全体で音楽に合わせて活動させる内容だ。週1の実習日でいずれかの授業を1つするという頻度だったが、45分〜1時間の授業をするのに、実習日以外の6日間、私はその授業準備で四六時中頭がいっぱいだった。
 オランダ語で授業をする経験も少なければ、この年齢の子どもたちに授業をする経験もなく、私は不安で仕方なかったのだ。自分で授業を展開させなければならないから、すべてを知り尽くしていなければと思い、文献学習も指導案作成の準備も、どんな形態でどのように説明をするかのイメージトレーニングも、できることはすべてやっていた。これだけの準備をしたということを自信に変えて、毎週の実習に臨んでいたのである。
 「上手くいくかな…」と不安になりながらも、いざ授業開始となれば私にもスイッチが入り、尻込みしたい気持ちはなくなった。用意してきた順番で授業を展開させ、覚えたてのオランダ語の表現もなんとか使って説明することができた。子どもたちも活動に参加はしている。ひとまず、思っていた通りの流れで授業をし終えることができ、私は内心ほっとしていた。

芽衣がまずやるべきことは、手放すことだね

 放課後になって、実習クラスのグループリーダーと授業の振り返りをした。まずは私から、授業の中でのよかったこととそうでなかったことを思いのままに挙げていった。子どもたちが積極的に授業に関わる姿が見られたことがよかった、私の説明の間の子どもたちのざわつきに、はっきりと声かけをしなかった、などだ。それから彼女が、フィードバックとしてきっぱりと話し始めた。
 「芽衣がまずやるべきことは、loslaten(ロスラーテン・日本語で「手放す」という意味)だね。授業準備を手放すこと。今は、準備してきたものに縛られながら授業をしてる。だから、授業準備もしないぐらいで授業をやってみた方がいいよ。そうすることで、子どものリズムに合わせて授業ができるようになってくる。目の前の子どもたちの様子に合わせて即興演奏するようなイメージを持ってみるんだよ」
 予想外のアドバイスに目から鱗の驚きと同時に、胸に突き刺さるようなショックもあった。私の思い通りに授業が進んだことは、実はポジティブなことではなく、それは、私が子どもたちを置いてけぼりにしていたことを意味するからだ。私が事前に決めた順序や時間配分に子どもたちを無理やり合わさせていた、私中心の授業をしていた、ということに気づいたからなのだ。そんな授業なんて1ミリもしたいと思っていなかったのに、結果としてそうしてしまっていた自分に悲しくなったのだ。
 このショックからは1ヶ月程抜け出せずにいた。日々、loslaten(手放すこと)を呪文のように唱えるも、子どもたちのリズムに合わせた授業を展開するということはまったく実現させられないでいた。なぜこんなに難しいのかと考えていくうちに見えてきたことがある。
 過去の日本での教員生活で、よい授業には授業準備が必要不可欠で、すればするほど思い通りの効率的でスムーズなよい授業となる、と思い込んでいたのだ。さらに、オランダ語を日本語のように操れないことからくる、コミュニケーションへの不安な気持ちが追い討ちをかけていた。授業準備が私にとってはお守りのような存在で、だからこそ、それを手放すことはかなり難しかった。
 手放したいのに手に入る力をこれっぽっちも緩められない。失敗や予想外の展開に遭遇することへの恐怖に苛まれている自分を思い知ったのだった。準備を手放せていない授業をするたびに、グループリーダーの彼女は私を励ましてくれた。「思い通りにいかなかったとしても、誰も傷つかないんだから! 準備したことが意味ないくらい、予想外のことばかり起こるんだよ。子どもが授業中におもらししたとして、それをほっといて芽衣は授業し続けるのかい?」と、私にこびりついた恐怖をニカッと笑い飛ばしてくれていた。その繰り返しのおかげで、失敗することへの重たい印象を、時間をかけて、わずかながら少しずつ軽くしていくことはできた。

実習1年後、少しずつ成長している自分に気づく

 この経験から早くも1年が経った現在、私はそのloslaten(手放すこと)ができるようになったのだろうか? その答えは、まだNoだ。アッセンでの実習の頃から、私も子どもを中心にした授業ができるようになりたいと思ってきたが、それが実現する日は、一体いつやって来るのだろう。でも、1年前に比べて、子ども中心の授業をするためにはどうしたらいいだろうと、オープンマインドで考えられるようになったことは間違いない。準備を少なめにして「まあやってみるか。あとは出たとこ勝負。で、そこで起きたことから学ぶか」と気楽に考えられるようにもなった。
 そこには、実習生としての場数が増えたことや、オランダ語を使って授業をすることに前よりも慣れてきたことが影響していると思う。が、低学年クラスのグループリーダーの言葉、「芽衣、loslaten(手放すこと)だよ」を何度も思い出してきたことがとくに大きいと感じる。私の目標を達成するための初めの一歩として、彼女の一言がこの1年の私の変化を支えてくれた。その延長線上であるこれからも、呪文を時折また唱えながら、子どもたちが生き生きと学ぶ授業をつくれる日に、一歩ずつ近づいていこうと思うのだ。(続く)

野菜や果物の名前を歌や実物で学ぶ国語の授業の一コマ。
野菜や果物の名前を歌や実物で学ぶ国語の授業の一コマ。

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