ちょっと教室の外に行ってもいいですか?

アッセンの中心街に向かう道

 私が入学した教員養成学校はオランダの北に位置する人口7万人弱のアッセンという小さな街にあった。この教員養成学校には、全日制の4年コースと定時制の2年コースがあった。前者の大半は、日本でいう高校を卒業して進学してくる学生が占める。一方で後者には、すでに何かしらの学位を取得していることが入学条件にあるゆえ、20代半ば〜50代という幅広い世代や経歴、背景をもった学生が集まることになる。私は日本の大学を卒業し、教員としての経験もあったため、この後者に入学したのだ。
 教員養成学校の1年生が始まると、学校での講義だけでなく、週2日の小学校での実習もすぐに始まった。実習が入学直後に始まるのは、なにもこの2年コースだからではない。4年コースでも1年生から週に1日程度の実習をするのがオランダの教員養成学校では一般的なのだ。私の入学したコースの場合、講義を受けるのは週に1日だけ。つまり、1週間の平日のうち3日を講義や実習で費やし、他の2日は、仕事に就いている人は勤務、家庭のある人は家事、そして、各自自己学習に費やすのだった。驚かずにはいられなかったのは、正規雇用でありながら勤務時間を減らし、仕事と両立しながら学校に通い、資格取得に挑戦できるということ。定時制のコースも学校によって夜間であったり昼間であったりするため、自分のライフスタイルに合わせて選ぶことができるのだ。
 私の実習校は家から自転車で20分ほどの場所にある市内のイエナプランスクールだった。教員養成学校の先生が、イエナプランスクールで学びたいという私の要望に応えて、受け入れ先の学校の先生に取り合ってくれた。低学年、中学年、高学年のグループがそれぞれ2クラスずつあり、全校生徒が200人弱のやや小規模校だった(オランダの小学校の平均全校生徒数は約230人)。

初めの半年の実習クラスは、グループ6〜8、日本でいう小学校4〜6年生の異学年学級である高学年グループだった。高学年クラスで実習をすることは教員養成学校によって決められていた。このグループには26人の子どもたちがいた。グループリーダーは40歳前後の男の先生で、ユーモアのある気さくな人だった。毛のないつるっとした頭で、あたかも長いきれいな髪が生えているかのようにサラッと後ろに払うマネが抜群に上手い。こういったユーモアでしばしば子どもたちを笑わせ、彼らとの距離を縮めながら、子どもたちが安心して過ごせる空間をつくっていた。その一方で、子どもたち一人ひとりが自律して学ぶよう、鼓舞することにも手を抜かないグループリーダーだった。
 教員養成学校では、授業中に課題が出され、学生たちはその課題をそれぞれの実習先で実践することになっていた(例えば国語では、自分で選んだ短い物語を暗記し、小道具を一切使わずに子どもたちに語る、というものがあった)。そして翌週の授業日に、その実践についての成果や課題を学生同士で互いに振り返ったり議論したりしていた。ただ私の場合、オランダ語がまだ十分に使いこなせず課題の内容をうまく理解できなかったため、実習先ではおもに、子どもたちやグループリーダーの様子の観察、子どもたちの学習のサポート、たまにグループリーダーの手助けをしていた。さらに、グループリーダーが「やりたいこと、見たいものがあれば何でも自由にしていいよ」と言ってくれていたのもあり、毎回課題に取り組まねばならない他の学生に比べたら、何倍も身動き自由な実習生ではあったはずだ。

 そんなわけで私は、自分の好きなタイミングでときどき教室の外に出ることがあった。ある日、先生たちが使う指導書や指導計画のファイルを見ようと思い、それらがずらっと並ぶ図書スペースに行こうとした時のこと。それまでも授業中にトイレに行くためにグループリーダーに一言声をかけていた。それと同じように、「〇〇(グループリーダー)、図書スペースに行ってもいいですか?」と小声で尋ねた。きっといつもと同じように「いいよ。」と返して来るだろうと思っていたが、彼の反応は私の期待とは違っていた。彼はホワイトボードに書いていた手を止め、眉間に少し皺を寄せながら私の両目をぐっと見つめ、「めい、めいがやりたいことは自分で決めてやっていいんだよ。」と真剣な眼差しで返して来た。
 恥ずかしさがたちまち心にわっと湧いてきた。その瞬間、この恥ずかしさがどこから来るのか自分でもわからなかったが、とにかく彼にとっては必要のない質問だったのだということはわかった。それゆえその後は、「どうぞ」と返事が返ってくるであろう行動をとる場合には、尋ねに行くことはもっぱらやめにした。とはいえ、教室を勝手に出て行っているようで、後ろ髪を引かれる気持ちがどことなく残ってはいた。

 あとになって、私はあの時、なぜグループリーダーの彼に許可をもらいに行ったのかと考え直した。もし私が日本にいたとしたら、授業中に無断で黙って教室を出て行くことは間違いなくしなかった。それは、その場の責任者である人に敬意を示すため、同時に、何か問題が起きた時の責任を、許可を得ておくことで回避するためだ。あるいは、自分の行動を正当化してほしいという気持ちもあるだろう。はたまた、その責任ある人の指示に従うことをその人へ表現することで安心感を与える存在として好印象を持たせたるため、という目的もあったかもしれない。いずれにしても、許可を得たい行動そのものとはあまり関わりのない目的ばかりだ。そしてまさに、この最後の、好印象を持たせたいという気持ちが、実習先のグループリーダーに許可をもらいに行く行為に出ていたようなのだ。しかし結果的には、期待とは逆の印象を与えてしまったと思える反応が返ってきた。それゆえの恥ずかしさだったとわかったのだ。
 では、オランダにいる人たちはどんな時に何のために許可を得ているのだろう?私自身のオランダでの経験から考えてみると、自分の行為が誰かの行動や所有している物、プライバシーに影響を与える時だと言える。その目的は、許可を得たい行動そのものに直結したものだ。実習クラスの子どもたちの様子を思い出してみても、グループとしての活動の中で一度決まった役割を変えてほしい時には、まずは、そのことをグループの友達に伝えていた。友達から消しゴムを貸してほしい時には「使ってもいい?」と聞き、「いいよ」と返事があれば取って使う。どの許可を得る行為にも、私のような別の目的を意図して尋ねている気配などまったくなかったのだ。

 グループリーダーの彼に「自分がやりたいことは自分で決めてやっていいんだよ」と言われた経験が、「せっかく身動き自由なのに、まずは何でも許可を欲しがるなんて、自ら主体性を削ぐような行動をとる必要はないんじゃない?」と、私に問いかけてくる。許可を取るという私に根づいた習慣が、なぜ許可が必要なのかを考えることを鈍らせていた。そして、私の主体性を奪おうとしていた。もちろん、許可を求めることが不可欠な場面もあることは承知の上で、いつも自分が自分の学びの主人公であることを、もう一度胸に刻み直したのだった。(続く)

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フレーク・フェルトハウズ、 ヒュバート・ウィンタース 著 リヒテルズ 直子 訳

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