広島で平和について 考えてきました

今年9 月に出版した『船上の助産師』の著者、小島毬奈さんの難民支援の活動は誰にでもできることではありませんが、世界に意識を向けることの大切さを認識しました。
今すぐできることから何か始めたいと思っているそんな折、11月に広島県福山市に行く機会があり、少し足を伸ばして、広島平和記念資料館を訪ねてきました。
広島スナップ
原爆ドーム
ほぼ被爆した当時の姿のまま立ち続け、核兵器の惨禍を訴え続ける原爆ドーム。

1発の原爆で14万人もの人々とが亡くなった現実

1945年8月6日、広島に原爆が投下され、市内の建物の約90%が破壊されました。また被災した人は即死や火傷だけでなく、放射線の影響でその後も長期に渡り白血病やがん、さまざまな障害や精神的苦痛を受けました。
広島を訪れ慰霊碑の前に立ち、「安らかに眠ってください、過ちは繰り返しませぬから」という碑文に思わずグッとこみ上げてきました。いまだに世界では戦争が続き、爆弾の種類は違っても人々がむごたらしく死に続けている。なぜ、こんなにも悲惨で苦しみ続ける戦争は続いているのか。
私たちは一人では何もできないし、動かせないとどこかであきらめてしまってはいないか、と改めて感じました。国を動かしている政治家も同じ人間です。一人ひとりが「どうしたら私は〇〇できるだろうか?」という視点で物事を考えるようになったら、小さな変化を起こすことはできるのではないかと思います。
難しい課題も目前のできそうな小さなことから考えていきたいという思いを胸に帰途につきました。(スタッフ永田)

戦争の痛みを自分事として受けとめる

初めて広島の地を訪れました。行くべきところは原爆投下の跡地。平和記念公園の川沿いを歩きながら、あの日この川に多くの人が水を求めてひしめいたのだと思うと少し息苦しさを覚えました。資料館では直視できないような写真や絵、展示物の数々に、これは現実に起こったことなのだ、何の罪もないのにその後も長く苦しんだ人が大勢いたのだと、平和ボケしている自分に言い聞かせながら見て回りました。
何のための戦争だったのか。犠牲になったのは一般の人々。戦争から得たことは何だったのか。「戦争など無意味だ」という教訓? 「核は不要だ」という認識? それでも、今も世界では僅かな権力者のための戦争が繰り広げられ、核の脅威は去りません。戦争の痛みは消えることはないのに。
「No more War」そこに来ていた多くの人々が痛みを、自分事として受け止め、そう思ってくれたらと願わずにはいられませんでした。(スタッフ岡田)

「平和とは何か」について考えていて、ふと浮かんだ言葉がありました。それは「他者に依存した平和」と「自立した平和」という言葉です。
「他者に依存した平和」は、他国や他者に頼ることで一時的に保たれる平和です。そのため他国の方針が違ったり、他者の支援がなくなると消失してしまう不安定さがあります。
一方「自立した平和」は、自国や自分自身が主体となって築く平和です。そのためには、お互いの価値観を尊重し、さらに自分の意思をしっかり伝える対話力が必要です。
私たちは日常において、いろいろな人との関わりを持って暮らしています。「みんながみんなから学び、共に生きる」ことを大切にすることを、まずは平和について始める私の一歩にしたいと思いました。
(高橋利直)

平和の折り鶴
国内外問わず世界中から平和の思いが託され、広島に届けられている折り鶴。
原爆の子の像
原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め、世界に平和を呼びかける原爆の子の像。
原爆死没者慰霊碑
「広島平和記念都市建設法」の精神に則り、1949 年建立された原爆 死没者慰霊碑。
原爆ドームをバックに
原爆ドームをバックに
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