帯津三敬病院名誉院長 帯津良一
八十九歳にもなると、目に見える世界よりも、その向こう側の「見えない世界」がだんだん身近になってきます。私はそれを、広く澄んだ「虚空」と呼びたくなります。そこには、先に逝った師や家族、私を育ててくれたおばさんたちが、静かに腕を組んで待っていてくれるような気がするのです。
若いころの私は、空手に明け暮れ、麻雀を打ち、酒を飲んで、目の前のことだけで精一杯でした。死後の世界など、考える余裕も興味もなかった。しかし八十代の半ばになってふと、「ああ、あちら側にも、自分の居場所が一つあるのだな」と思える瞬間が訪れました。そのとき、胸の奥の重しがすっと軽くなり、また走れるようになったのです。
虚空は、こちらの声にすぐ返事をくれるわけではありません。それでも私は、毎晩のように一杯やりながら、心の中で話しかけます。「今日はこんな患者さんが来たよ」「まだもう少し、こっちで働かせてくれよ」と。返事は聞こえませんが、不思議と「うん、わかった」という気配だけは伝わってくる。これが、虚空との対話です。
健康法というのは、本来「どう長生きするか」ではなく、「虚空と対話しながら、最期までどう自分らしく生きるか」を整える作業ではないでしょうか。死は、人生の終わりではなく、虚空のほうへ一歩踏み出すタイミングにすぎない。そのときまで働き、飲み、ハグし続けることができれば、それで上出来。そんなふうに虚空と語り合いながら、私は今日も養生を続けています。


プロフィール
東大医学部卒の医師。外科医としての経験を土台に1982年に埼玉・川越で帯津三敬病院を開設、2004年には池袋に統合医療の拠点(帯津三敬塾クリニック)も立ち上げた。西洋医学に漢方・気功・食事などを重ね、「医療と養生の統合」を目指すホリスティック医学を提唱。NPO「場の養生塾」などで“いのちの場”を整える暮らし方を伝え、日々の気功を欠かさず現役医師とともに講演を続けている。


