突然ですが母が入院しました

やがては誰もがお世話になる介護と医療。病気や事故は前触れなしにやってきます。
先日、病院を受診して「異常なし」だった私の母が、翌日、突然倒れました。
そんな時に慌てないで行動できるように…。母のケースが参考になれば幸いです。

突然ですが母が入院しました。

 ある土曜日の朝、その日は実家のある千葉に行こうと予定していた日でした。ちょうど翌週に母が88歳の誕生日を迎えるので、久々にお祝いを兼ねてと訪問の計画を立てていたのです。
 その日の朝、午前7時半に突然の電話がかかってきました。電話をかけてきたのは、前日から千葉の実家に行っていた私のパートナーです。
 「大変なの、今、お義母さんがベッドの下でうずくまっていて、寒い寒いと言っている」
「そして頭が少し混乱しているみたいで発言がおかしい」
 普段なら朝、7時前には起きてきて居間で新聞を読んでいるのに、静かだなと部屋に行って声をかけたところ、うずくまっている母を発見したのです。
「とにかく早くきてちょうだい」
 私は、実家に急行しました。

前日のクリニック受診では異常なし

 私が実家に着いたとき母は、居間の椅子に座って静かに「ボーっと」していました。
 その「ボーっと」は、緊張が解けた安心感からなのか、何かの拍子に一気に物忘れが進行してしまったからなのか、よくわかりませんでした。
 家の中は、ひと騒動が終わった後の虚脱感が漂っていて、私のパートナーにも疲れと安堵が同時に現れているのが傍らから大変よくわかりました。
 幸い、私は母親が倒れた現場に居合わせていなかったため、驚きは隠せないものの、少しだけ冷静にこれからの行動を考えることができました。
 母は朝方のパニックはだいぶ落ち着いてはいましたが、「頭痛がする」と言っています。
 実は、4日前の火曜日に、「頭痛がする」と近所のクリニックを受診して、血液検査をしてもらっていました。その血液検査の結果を聞きに、3日後の金曜日にクリニックを再受診しましたが、「異常なし」の診断でした。それでも、母は「頭痛がする」と医師に訴えたのですが、頭痛薬が処方されただけでした。
 「異常なし」の検査結果が出されているのだからと思いながらも、知人のお医者さんから、「脳の病気は一刻一秒の判断が重要」とも言い聞かされていたので、万が一のことを考えて、119番。救急車を呼びました。

結果として救急車を呼んで助かった

 電話口で病状を説明してから救急車が到着するまで、待つこと20分。その間に、入院に備えて母の衣類をカバンに詰めたり、これから先起こることへの心構えを頭の中で整理していました。
 まもなく救急隊到着。母が救急車に担ぎ込まれ、私は付き添い人として同乗しました。それまで、大病をしたことのない母でしたので、行きつけの病院もなく、あいにくコロナ禍で救急患者を受け入れてくれる病院も少なく、5件目の問い合わせでようやく受け入れ先の病院が見つかりました。
 その間、約2時間、救急車は自宅前で停車したままでした。
 病院到着後、まずはPCR検査を受けます。
 幸いコロナは陰性でしたので、続けて脳の検査となりました。脳のCTとMRI検査を受け、結果が出るまで約1時間が経ちました。
「高橋さんの検査結果は、軽度の脳出血」
「しばらく安静にして様子を見る必要があります」
 担当した医師からそう説明があり、即入院です。
「最低でも2週間くらいの入院となります」
「コロナ対応のため、入院中はご家族の方のお見舞いはできません」
「必要な衣類や日用品は一階の受付に届けてください」
 結果としてですが、救急車を呼んで助かりました。

病気や事故は前触れなしにやってくる

 救急車を呼んだのは午前11時。病院に搬送され、検査を受け脳出血が確認され入院が確定。そのまま母と一緒に病室まで行き、担当の看護師さんから今後の説明を聞きました。病室を後にして病院の玄関を出た時には、あたりはすでに薄暗く、時刻は午後5時半をまわっていました。
 幸い、母は重篤な様態にならずに現代医学の治療を受けることができましたが、
「救急車を呼んでから受け入れ病院に到着するまで3時間ほどかかったこと」
「万一、脳出血がもう少しひどかったり、別の部位だったりしたらどうなっただろうか」
 などと思うと、救命医療にも限界があるということを実感しました。
 やがては誰もがお世話になる介護と医療。病気や事故は前触れなしにやってきます。その時に慌てないで落ち着いて行動できるように、地震や台風などの防災とともに、病気や事故への日頃の備えも怠らないようにしたいものです。

3 名の救急隊員は、午前11 時半の出動から病院搬送完了まで約4 時間半付き切りでした。
大変な仕事です。
38 度の発熱があったため救急搬送後まずPCR 検査。幸い結果は陰性でした。
脳の断面画像「右側頭葉」に出血がありました。

高橋利直

1959 年生まれ。大学では工学部電子工学を専攻。1984 年大卒後IHI に入社。火 力発電所の制御設計に携わる。1986 年3 月にIHI を退社。4 月から頭とお金を提供してくれた創業者柴田さん、体と汗を提 供した私、他1名でほんの木設立の準備が スタート。1986 年6 月に、株式会社ほん の木創業。2003 年より代表取締役。