第9話 舞台の上ではなく、後ろに立って やがて去りゆく…教育の真髄…(リヒテルズ直子)

Go to the people
  by Yen Yang Chu (晏陽初)

Go to the people
Live among them
Love them
Learn from them
Start with what they know
Build on what they have

But of the best leaders
When the task is accomplished 
The work is done
People all remark
We have done it ourselves

人々の中へ行き
人々の中に住み
人々を愛し
人々から学びなさい
人々が知っていることから始め
人々が持っているものの上に築くのだ

しかし、最も優れた指導者が
仕事をした時は
その仕事が終わったときに
人々はこういう「我々がやったのだ」と

 冒頭に挙げたこの詩は、もう今から十年以上も前、敬愛している長野県佐久病院の医師、色平哲郎さんのブログに引用されていたものです。私の心の奥底に、深く強い衝撃を残した詩でもあり、色平さんにお断りして今回ここに引用させていただきました。

 何か、世の中にとって大きな仕事を成し遂げたいと願う人が、心に深く刻んでおくべき大切な言葉であると思います。この詩は、大いなる仕事は、徹底して他者のために行うものであり、自分の名声のためでも、自己実現のためでもないことを教えてくれています。

 イエナプラン教育について学び、また、日本の学校教育改革議論に関わりながら、この詩は何度も私に大切なことを問いかけてくるのです。人間を育てるとは、若い人たちの模範となるとは、どういうことなのか、と問いかけてきます。
 いかがでしょうか?
 ここで、試しに、この詩の中のThe Peopleという言葉をchildrenに置き換えてみました。

Go to the children

Live among them
Love them
Learn from them
Start with what they know
Buil on what they have

But of the best leaders
When the task is accomplished
The work is done
Children all remark
We have done it ourselves

子どもたちの中へ行き
子どもたちの中で生き
子どもたちを愛し
子どもたちから学びなさい
子どもたちが知っていることから始め
子どもたちが持っているものの上に築くのだ

しかし、最も優れた指導者(教員)が
仕事をしたときは、
その仕事が終わった時に
子どもたちはこう言う
「僕らがやったんだ」と

 こうすると、真の教育者、子どもたちを率いるグループリーダーのあるべき姿が全て描かれているように思えてきます。同時に、社会とは、ありとあらゆる場所で、こう言う教育行為が無意識のうちに行われている場所なのではないか、とも思えてきます。

 イエナプランについてオランダの専門家を始めて日本に招いて講演会を開催した時、プレゼンテーションをしてくれたフレークは、「よい教師とは、自分は舞台の上に立たないで裾から見ている教師だ」と言いました。私は、それを受けて、「よい指導者とは、黒子になりきっている人のことだ」と理解し、また、人にもそう伝えてきました。

 でも、自分が顔を見せないからと言って、自分が人の目に触れる場所に姿を現さないからと言って、責任を全て子どもに託しているというわけではないのです。この詩の前段にあるように、優れたリーダーは、人々の中に入っていき、人々と共にその苦しみや悲しみや喜びを分かち合いながら生きており、つまり、その人々を心から愛しているのです。多分、自分よりもずっと経験の少ない人たち、自分よりもまだ考える力が未熟な人たちをも、です。自分が舞台の上に立たないからと言って、決してパッシブだったり、子ども任せで放任しているのではなく、アクティブに、自分自身をその場にどっぷり浸からせながら、また、自分にはできないことを人々や子どもたちがしているのに感嘆し、自分が知らないことを人々や子どもたちが知っていることを心の底から喜び尊重し、その上で、人々や子どもたちが、「自分がやっている」と思えるように主体性を持って行動できるように仕向けられる人なのです。それが時としてどれほど苦しく難しいことであるか、日本にイエナプランを伝えながら、日本の若い人たちと接しながら、私自身、何度も身に染みて感じてきました。

 でも、前回紹介したジョン・デューイの「民主主義と教育」の冒頭で、デューイは、生きとし生けるものは、常に、弛むことなく周りの世界に適応するために学び続けていると言っています。それは、裏を返せば、自分が学び変わる力を無くしてしまった時、それは、生命を失い死んでしまった時なのだ、ということでもあります。

 シチズンシップの真髄を教えてくれるコルチャックの「全ての子どもを愛す」(Loving every child)という、珠玉のような小さな冊子の中に、こんな言葉が書かれています。

”After many years in the field of teaching, it has become more and more obvious to me that children deserve respect, trust, and kindness. It is a pleasure to work with them in a cheerful atmosphere of merry laughter, lively first efforts, and pure, ebullient, affectionate joviality. The work is exciting, productive, and good.”

教職に長い年月を捧げてきた今、私にとってますます明らかになってきたことがある。それは、子どもたちは、尊重と信頼と優しさを当然受け取るに値する存在であるということだ。明るい笑い声と生き生きと初めてことに取り組む姿、純粋で沸き立つような暖かさに満ちた喜びのある楽しい雰囲気の中で子どもたちと働くのは楽しさ以外の何ものでもない。その仕事はワクワクとした興奮に満ち生産的な良いものだ。

 コルチャックがいうこの「楽しさ」「喜び」とは何なのでしょうか?

それは世代を超えて共に学び合う同胞とそこで生きているという感動そのものではないでしょうか。

 老いて、やがてこの世を去りゆくことが見えている人も、最後の息を引き取るその瞬間まで、変化し続ける。その姿を若い人たちに見せ、やがて、若い人々の未来が、今よりも少しでも良くなることを願い、信じながら、舞台を静かに誰にも気づかれずに去って行くのだと思います。

 若い人たちとの関わりを、そんなふうにできないものでしょうか?

 親だけではなく、社会全体の人々が、若い世代に対して、そんなふうに関わることはできないものでしょうか? 問われているのは、私たち自身なのです。(続く)

 

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