第13話 祝われるということ(リレーエッセイ)

 「自分って、祝われていい存在なんだ」そんな風に感じた日がある。

 2021年の1月4日、シェアハウスの仲間が私の誕生日会を開いてくれた。「誕生日だからキタバの好きなもの買うからね!」と一緒に買い物に出かけたものの、ボクが好きな唐揚げの要望は届かず、「えっ、かに食べたぁい」とか「海鮮おいしそう(ヨダレ)」とか、結局、みんなが好きなものを寄せ集めるという感じで誕生日会の品物が決まっていった。

 テーブルには、かに鍋、イシツブテみたいに不恰好だけどとっても甘い苺、みんなの愛がつまった赤ワイン、にぎにぎ寿司巻などなど、何でもありの、でもみんなの好物が集まっていた。あの時のメニューは、これまで一緒に笑い合ったり、泣いたり、ケンカしたりした、私たちの関係性の歩みのように見えた。

 「ボクのためなんかに時間を使わないで〜」とちょっと気恥ずかしい気分でいる私にとって、慣れない時間だったし、。そもそも1月4日って年が明けたばかりで、毎年、みんなバタバタしてて、わざわざ誕生日を祝われることがなかった私にとって、あまり経験したことのない新鮮な体験だった。同時に、自分って、祝われていい存在なんだぁ〜、誰だって誕生日のときには祝われて当然なのかもしれないなと、少し思えた。

 催しって、共同体の欠かせない要素なんだなぁ。

 昨日は、児童ホームで、りょうこちゃんの7歳の誕生日会をした。 私はその少し前に「どんな誕生日会にしたい?」とりょうこちゃんに聞いてみた。「結婚式のような誕生日会がいい!!!」と返ってきた。

 他の子どもたちと一緒に、どうすれば「結婚式のような誕生日会ができるだろう」と作戦会議をする。

「結婚式のような装飾って、豪華めだよね?」
「キラキラがいっぱいある感じ?」
「BGMも結婚式に流れている音楽にしよう」
「僕、お花つくる!」
「私、結婚式で何を準備したらいいか、お母さんにきいてみる」

 こうして、いよいよ当日を迎える。
「いまから、りょうこちゃんの誕生日会をはじめまーす!!」低学年の子が、元気よく司会をしてくれる。

「では、りょうこちゃんの入場です!みなさん拍手!」「ジャジャジャジャーン」と結婚行進曲のピアノ伴奏とともに、ドレスを着たりょうこちゃんが入場する。もちろん、みんなで作ったバージンロード上で。

 最初は、折り紙で作られた花束を贈る。謎の星の折り紙もいっぱいある。どれも、りょうこちゃんのためにみんなが心を込めて折った花束だった。

 次は、お歌です!!
 2日前にりょうこちゃんから「キタバさんは、ギターでハッピーバースデーを弾いて!!」と注文があったので、頑張って練習してきた。下手ながらも、みんなで歌った。

 そのあとも、ちょっとした人形劇をしたり、踊りをみんなで踊ったり、りょうこちゃんの好きなかりんとうを食べたりした。りょうこちゃんの笑顔のために、みんなで動いた。

 誕生日会を終えて、あっという間に帰る時間
 ある子が「今日宿題できなかった、、、来なかったらよかった」と嘆いていた。私ももう少し見通しを伝えておけばよかったなぁと反省していた。すると中学年のある子が「それやったら、Aさんはりょうこちゃんの誕生日会出来ひんかったことになるで!」と言った。「あ~、それはイヤだなぁ」と答えている様子に、少しだけ救われた気持ちになった。

 きっと利益を追求したグループであれば、自分の宿題が早く終わることが優先されていたと思う。でも、あの瞬間は、自分だけではなく人と一緒に居る大切さを理解してくれたのかなぁと感じられた。少しずつ共同体が育ってきているのかもしれない。

 お金をかけなくても、1人ひとりのためにたくさんの時間や労力をかけることで、素晴らしい催しはできる。そんな時間を、私自身はあまり持ったことがなかった気がする。だから、りょうこちゃんのためにみんなで催しを手作りしたあの時間は、人と人とのつながりの大切さを感じる嬉しい時間だった。

 私がもらった愛は、今度は、誰かのために渡していかなくては、と思う。

 「1人ひとりがかけがえのない存在であること」を「あなたは大切な存在であること」を、昨日のりょうこちゃんの誕生日会でプレゼントできただろうか。そう思いながら夜がふけていった。(キタバ)

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