日本の教育を、今よりもっと良くするために(リヒテルズ直子 教育・社会事情研究家)

リヒテルズ直子 
オランダ在住の教育・社会事情研究家。特にオランダのオルタナティブ教育、市民性教育に関する造詣が深い。日本におけるイエナプラン教育の第一人者。

学校は責任ある市民を育ててきたか?

 2023年は、世界各地で異常高温・熱波・旱魃・豪雨が多発し、多くの人々がこれまでになく地球温暖化の影響を強く実感しました。年末にドバイで開催された、『COP28(国連気候変動枠組み条約第28回締約国会議)』では、「化石燃料からの脱却」を加速する多国間合意に到達したものの、異なる立場の国同士の合意形成が、どれほど難しいものかをまざまざと示しました。
 国際協調のこうした努力が続く一方、にもかかわらず、今年は、従来以上に国際社会が分断を深めた年であったとも言えます。もうすぐ3年目を迎えるロシアのウクライナ軍事侵攻は、数多の市民の犠牲にもかかわらず収束の気配が見えません。パレスチナのハマスのテロ行為とイスラエル政府による強硬な反撃は、両社会の市民に言われなき犠牲を強いるばかりか世界各地で分断と社会不安の原因になっています。

 世界のすべての人の基本的人権の保護のために1948年に国連が採択した「世界人権宣言」は、もはや風前の灯火となり、民主主義先進国だったはずの欧米諸国では、科学的エビデンスよりも美辞麗句で人を惑わす大衆指導者が幅を利かせ、民主主義が根底から崩れようとしています。
 無論この状況は、1990年台から各地で広がった、競争を促す新自由主義が広げてきた、貧富や学歴の差による人々の分断が背景にあると言えるでしょう。
 しかし、元来「民主的市民」の育成こそを目的として行われてきた学校教育がこの動きに歯止めをかけられなかったのはなぜでしょうか? 果たして学校は、地球社会に対して責任ある市民を育ててきたのでしょうか? それどころか、現今の地球上の問題を生み出す原因になっていたのではないかと思います。

国境を超えて地球のために働く人づくりを

 産業発展と高度の科学技術発達を目指す学校教育は、学力向上に著しく偏り、生徒たちの人間性の発達を疎かにしてきました。歴史教育に象徴される通り、国家という枠組みの中で行われる公教育は、極端に言えば、戦場に出て他国の人命を殺めることを厭わない、エクスクルーシブな意識を植え付けてはこなかったでしょうか。権威的教師は、子どもたちが自らの個性と批判的思考を発達させる機会を奪ってきました。
 では、地球社会の安定と発展のために関与する地球市民の資質とは何で、それは、どうすれば育てられるのでしょうか? 
OECD(経済協力開発機構)の「教育とスキルの未来2030プロジェクト(OECD Future of Education and Skills 2030project)」では、「全ての学習者が、全人格的人間として発達する
こと」を目指し、子どもたちが身につけるべき必要な資質として「分断ではなく共同、短期的利益でなく持続可能性を重視し、社会への責任感を持つと共に、そうして生きることにエンパワーされていること」を挙げています。こうした資質を持った人間の在り方を、「変革のためのエージェント」(変革のために寄与する人)と呼んでいます。
 それは、私なりに表現すれば『自分自身と他者とを共に尊重し受け入れ、生きた世界の中にお互いの存在意義を見出し、意欲を持って働こうとする人』と言えると思います。

 ドイツの教育者ペーター・ペーターセンの教育理念は、1920年代に世界で広がった新教育運動の一翼を担い、のちに「イエナプラン」として知られるようになり、オランダに伝えられて大きく発展しました。

 イエナプランでは、学年制を廃して3学年に渡る異年齢の子どもたちがファミリーグループと呼ばれる学級を構成します。また、科目で区切られた時間割を使って学力だけを伸ばすのではなく、対話・遊び・仕事・催しという4つの活動を循環しながら、子どもが全人格的に発達するよう促します。
 子どもたちは互いの違いに気づき、それを受け入れ、助け合い、喜びや悲しみの共有を学びます。
 さらに、「ワールドオリエンテーション」という総合的な学びで、子どもたちは生きたホンモノの世界に触れ、借り物の問いではなく、自らの内発的な問いをもとに、世界や自然の仕組みを探求します。仲間と協力して行う探究は、人を押し除けて自分だけが勝利することではなく、お互いの異なる力を集め、誰もが安心して生きられる社会の大切さを学ぶたためのものでもあります。

 今日の地球と人類社会の姿は、私たち人間に、従来の学校教育を根底から問い直すようにと示唆しているのではないでしょうか。