第6話 催し(ヒュバート・ウィンタース)

写真:リヒテルズ直子

 イエナプランのコンセプトには4つの基本活動があるのはご存知の通り。共に話し、共に働き、共に遊び、共に催す、の4つだ。「共に催す」と聞けば、私たちは、すぐにまず何か楽しいことや嬉しいことを祝う催し、パーティを思い浮かべる。
 当然と言えば当然だ。なぜなら、学校でも、行われる催しの多くは、こういう楽しいものが圧倒的に多いからだ。何か嬉しいことがあると、その度に私たちはパーティを開いて一緒に催そうとする。

 どうしてなのだろう?

 嬉しいことを一人でではなく、みんなで一緒に祝うことぐらい楽しいことは他にあまりないからだ。学校に関わっているすべての人と一緒に何かをお祝いすると、誰もが、自分はそこに属しているのだ、その人たちと一緒に生きているのだと感じることができる。気づくだけでなく、心で感じるのだ。
 こういう経験を重ねていくうちに、人は皆、学校共同体に対して、みんなで一緒に責任を持たねばと考えるようになる。
 お互いに対する尊重心もそうやって生まれる。特に、毎週行われる週の初めのオープニングや、週の終わりのクロージングは、そういう互いへの尊重心を育む良い機会だ。

 週の初めに、私たちはみんなで一緒に、その週、これから何が起きるのかを確認し合う。そこで教員や子どもたちは何か新しいアイデアを紹介する。
 それは、何か面白い本のことだったり、遊技場でやる予定の新しい遊びのことだったり、どこかのミュージアムに行ってみるといいよというアドバイスだったりする。新入生や、新しく学校にやってきた実習生やボランティアの人たちが紹介されるのもこの場だ。また、この週に誕生日を迎える子どもたちのためにみんなで歌を歌うこともある。
 週の終わりには、どのファミリーグループ(クラス)も参加して、それぞれのグループでその週にあったことや学んだことをみんなで振り返る。それをいろいろな形でプレゼンテーションする。
 あるグループは新しく覚えた歌を元気いっぱいに歌い、他のグループは読みのサークルで読んだ本の素晴らしい一節を取り出して読み上げたりする。
 高学年グループの子どもたちは週のクロージングとして行われる発表会のプログラムを作り、各グループが行うプレゼンテーションを紹介する進行役を務める。そしてもちろん、クロージングの発表会の終わりには、みんなで一緒に歌を歌い、お互いに「良い週末をね」と声を掛け合いながら家路に着くのである。
 オープニングやクロージングで、全校生徒が集まっているときに、年長の子どもたちが、年少の子どもたちを励ましている姿を見るのは心温まるものだ。そこには、いつも誰か保護者も来ていて、一緒に様子を見守っている。特に保護者にとって我が子が「舞台に立つ」日は特別で、みんな進んでやってくる。催しはそれくらい大切なものなのだ。このようにして、しっかりとつながり合った、子どもと、保護者と、教員とから、<生と学びの共同体>が生まれる。

 しかし一度だけ、私が経験した二度と忘れられない催しがある。

 その日、学校の電話が鳴り響いたのは、朝早く、校長の私がまだやっと学校に到着したばかりのときのことだった。電話の主は、私たちの学校に通っていた3人の子を持つ母親だった。電話の向こうのその母親は、自分の夫、この3人の子たちの父親が、その前の晩、突然亡くなったと伝えてきた。

 どうしよう?
 私はすぐさま自転車に飛び乗り、この一家の家に向かっていた。あの子たちのそばに一刻も早く行ってやりたい…。その家に入ると、母親も子どもたちも皆、悲しみに沈んでうなだれていた。私には、なんと言ったら良いのか、言葉も浮かばず、ただ黙っているしかなかった。
 しばらくして、ようやくぽつりぽつりと言葉を交わし始めた。告別式まではまだ何日かあった。すぐに学校で催しをしなければ、という話になった。こうすることで、学校の人たちみんなに何があったかを伝え、悲しみを分かち合い、この3人の子どもたちと母親を慰めることができないかと考えたのだ。
 私は学校にとって返し、全てのクラスを短く訪問して回り、何が起きたかを説明し、その日の午後、この悲しみを共有するための催しをすることになったと伝えた。そして、どのクラスの子どもたちにも、この催しのために短いものでよいから何かを用意してくれと頼んでおいた。

 その結果行われた催しが、どれほど印象深いものだったことか…。それは、静寂に満ち、そこにいる誰もがとても真剣に話に耳を傾ける様子に満たされていた。
 子どもたちは、それぞれ、たくさんの慰めの言葉を述べた。それを聞いて、鼻を啜ったり泣いたりしている様子があちこちに見られた。突然父親を失った3人の子どもたちは、周りのすべての子どもたちや保護者たち、そして教員たちから、しっかりと抱きしめられていた。
 催しは、基本活動の一つだ。しかし、それはパーティのように嬉しい出来事のときだけではなく、辛いときにこそ行うものだ。なぜなら、そういうときこそ、私たちはお互いを本当に必要としているからなのだ。他のどんなときよりも…。(続く)

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