第5話 境界を超えて学ぶということ〜伝統的な学校は本当に「効率的」?(リヒテルズ 直子)

 オランダでの1週間のイエナプラン研修を始めてまだ間もない頃、研修に参加していた理科系の学部の学生が、訪問していたイエナプランスクールで、ポツリと一言、
「イエナプランって、子どもたちが一つの活動に取り組んでいる間に、同時に色々な能力が発達するようにしているんですね」と言いました。
「ピンポーン」と、クイズ番組で正解が出た時に出るサインのように、いやいや、キンコンカンコーンともっと大喝采をしたくなるように的を得たコメントに、わたしは、周りの目も気にせず、
「そうそう、それそれ、よく気づいたわねえ」
と半ば歓声に近い声を上げました。
 この時のコメントは、まさにイエナプランの本質をついており、その後、逆に、私自身が、イエナプランスクールに見学に行くたびに、何度も頭の中で、この学生の言葉を反芻するようになったほどです。

 近代の学校というところは、多分、大人が持っている知識を、できるだけ多くの子どもたちに「一斉に」「効率的に」教えようと意図して考えられたシステムであったのだろうと思います。
 時間割を作って、45分とか50分とかの時間帯で区切り、その区切られた中で、限られた科目を集中的かつ効率的に教える。国語だけ、算数だけではなく、時間割の中に、理科も社会も図工も音楽も体育も、と詰め込むことで、子どもたちは、ありとあらゆる分野の知識とスキルを短時間で効率的に身につけることができる…きっとそう考えたのでしょう。中学になると、さらに深い知識やスキルのために、専門の教科担当の先生がやってくる。そして、専門の先生が、小学校以上に深い知識を短時間で効率的に教えられる、というわけです。

 さらに、日本の多くの学校では今でも、先生たちは、授業の前に、「授業案」なるものを作り、その45分の時間をさらに細分化し、初めの何分で導入のための話をし、次の何分で教科書のどの部分を説明し、それから何分かで生徒たちに練習問題を解かせ、次の何分かで皆が理解しているかを確かめる、そして、最後の数分間で、よくわかっていない子にしっかりわかるように指導をする、というふうに進められます。

 いやあ、まことによくできたやり方だ。学校教育が始まった頃には、そう思っていた人がほとんどだったのかもしれません。時々、「イエナプランは効率が悪い、これじゃあ子どもたちの学力は伸びないでしょう」という人はいますよね。そう言われると、グラっと心が動き、不安になる人もいらっしゃるのではないかと思います。でも、実際にはどうなっているでしょうか? 本当に、伝統的な画一一斉授業の方が、子どもたちの発達には効率的なのでしょうか???

 短い時間になんでも詰め込もうとする教え方は、結局のところ、先生の短い指導でわかる子だけがついていくことができ、そうでない子は落ちこぼれてしまう、そう私は思っています。つまり、効率的どころか、「教育」といえる営みそのものが起きていないのではないのかとさえ思うのです。
 元々、そういうやり方でわかる子というのは、学校に来なくても自分一人で勉強を進めることができたり、すでに親から家で教わっていたりすることもあると思います。そして、最後のほんの数分間、先生が、わからない子に時間をかけて手取り足取り指導してみたところで、そんな程度では半信半疑にしか理解できていないまま。そして、次の授業では、そういうことにはお構いなく、先生がまた、新しいことを教えます。「早く、早く」「単元を今日までに終えなければ」という気持ちで教えている先生には、わかっていない子にゆっくり時間をかける間はなく、わからないまま教室に座らされている子どもたちは、「ああ、学んでよかった」という達成感もなければ、「学校に来てよかった」という喜びもないままに日々が過ぎていく…。ましてや、主体的に自分で学びたくても、自分のわかっていることや興味のあることにはお構いなく授業が進んでいくわけですから…。

 結果として、子どもたちは、学力が伸びてないだけではなく、自己肯定感も学びの意欲も育てられず、主体性のない受け身の人間になっているということです。これが「効率的」なのでしょうか?
 そう、もしも、学校教育が「主体性を持たず、受け身でなんでも人の言うことを鵜呑みにし、金儲けをする人たちの広告に安易に釣られ、消費者としての行動をする」人間を育てようとしているのであれば、こういうやり方は、そういう人間を、実に「効率的」に育てていることになっているのかもしれません。もしかすると、本気で、そういう人間を育てた方がいいと思っている人たちがどこかにいるのかもしれない、とすら思います。

 さて、こんなふうに書くと、

 「いやあ、わかっていますよ、だから、そうではなく、イエナプランでは、一人一人を記録しておいて、それぞれが自分のレベルにあった勉強ができるように、一人一人の子どもが1週間の課題をもらいそれを遂行して行く、先生に教えてもらわなくても、周りの子が教えてくれることもある、そうやってブロックアワーを指導していくんですよね」
という声が聞こえてきそうです。

 ところがね、イエナプランを見る目を、もう少しだけ広げてみてほしいのです。

 イエナプランスクールは、授業時間を科目で区切っていません。つまり、時限ごとの目標は、ある科目の、ある単元の、ある部分を学べば良い、というふうには考えていないのです。
 そもそも、時限ごとに区切る、科目という人工的に区切って分けた領域を決めて、つまり、知識に境界線を引いていく、そのことを考え直してはどうか、と言っているのです。
 なぜかって? ホンモノの世界にあること、ホンモノの世界で起きていることには、境界線がなく、すべてが関わり合い繋がりあって起きているからです。私たちの生活に身近な、水、光、土、空気、どれをとっても、算数にも国語にも理科にも社会にも、私たちの心を感動で震わせる芸術にも、生きるための糧を生み出すことにも、ありとあらゆることに関わっていることがわかるのではないでしょうか。でも、それを、算数だけ、国語だけで、理科だけで、感動もなく無機的に、自分とは関係のない紙の上の知識として見ようとすると、大切なものがたくさんそこからこぼれ落ちてしまうのです。しかも、こぼれ落ちていることにすら気づかないでいる…。イエナプランが、こうした事物について学ぶ際に、あえて科目の分野に切り分けてしまわないのは、そうすることで、対象にしているものが私たちの「生」そのものに、私たちの血肉や心とどう関わっているかが見えてくるからなのです。

 そして、私たちの対話に力と魂が注ぎ込まれます。言葉が、心の底から沸き起こるようになります。

「さあ、今から話し合いの練習をするから、誰か議長になって。テーマはなんにする?」と、一定の時間に先生の方から持ちかけても、子どもたちが、生き生きとした話し合いに入ることは難しいです。そうではなく、水について、太陽のエネルギーについて、土について、科目の境目に囚われることなく、問いかけ調べお互いの知識を交換しあっていれば、そこでは、意味のある対話が生まれてきます。そして、誰が意図するでもなく、子どもたちは、自分が本当に心の中で感じたり考えていることをどうしたら伝えられるだろうか、と工夫をし始めます。本当の意味でのコミュニケーション能力が育ち始めるのです。
 調べてわかったことをみんなに伝えなければならないという欲求は、責任感や仲間意識を育てます。その責任感は、伝える内容の正確さを自分から求める意識につながります。誰か仲間が何かを理解していなければ、その仲間も自分と一緒に理解できるにはどうしたらいいか、と考え、説明しようとするでしょう。仲間、ひいては、自分が属する社会への責任です。排他するのではなく、ともに生きるためにインクルーシブに関わることを覚えます。

 学びがさらに深まれば、「日本の外の遠くの土地ではどうなのだろう」と考えるかもしれません。もともと、国境という境も、人工的なもの。そう、なぜ、あなたの思考を国境という人工的な境の中だけにとどめていなければならないのでしょう?
 情報を集めるために、英語やその他の外国語を駆使しなければならないことを知るでしょう。英語の授業の中で、単に、何百、何千もの語彙を覚えたり、文法に沿って機械的に文章を英訳したり和訳したりすることではなかなか覚えられなかった言葉、熟語、言い回し、会話の仕方、文章の書き方、文脈の中での適切な言葉の選び方などは、こうして、生きた場面で使うために自分なりの方法で学べば、一生忘れることのない知識として身につくものです。

 「科目」という領域に分け、授業とはどれかの「科目」について学ぶものだ、と考える教師たちは、人間の子どもにはもっともっとたくさんの能力を育てていかなければならないものだということを忘れてしまう。そういう学校で学んでいる生徒たちは、いずれ、学びとは、「何かを狭く深く知ることだ」と思ってしまう。でも、本当に学ぶことの楽しさ、科学の意味を知っているひとは、何かを深く知ろうとすればするほど、狭く小さなタコツボのような場所に止まっていてはいけないということを知っているはずなのです。

 イエナプランを学び始めた人たちへ。どうか、イエナプランだけを学ぼうとしないでくださいね。もっと隣接する教育理念を、隣接する哲学を、経済や労働や、いろいろな土地の人々の歴史や文化、そして、各地の社会動向などに進んで目を向けていてくださいね。そして、私たちが生きるためには、子どもたちがより良く生きることを教えるためには、私たち自身が、恐れることなく、自分の興味関心に沿って、「専門」という下手な境界線を引くことなく、深く広く好奇心を持ち続けていくことこそが大切なのだということを忘れないでいてほしい、と思います。

 イエナプランナーとはそういう人のことです。イエナプランの「専門家」ではありません。(続く)

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